電話相談の現場から

 
 
話相談の現場から



 本会は平成15年度に「十代の性を考える会」として発足し、さまざまな事業を行ってきました。電話相談事業は16年度に開始し、今年で6年目を迎えます。われわれ相談員は、小学生から高校生、ときには大学生まで、いわゆる思春期の子供たちの性の悩みを聞いてきました。毎週火曜日、午後5時から8時までの3時間、二人体制で相談に当たっています。
 発足当初は、青森市内の小・中学校に相談カードを配布したり、ポスターを貼ったり、タウン誌などに掲載して相談を呼びかけたり、若者が集まりそうなショッピングセンターや関係医療機関の待合室などに相談カードを置いたりと、広報にも力を入れましたが、相談件数は先細りで、1件も電話が鳴らない日が続き、一時は事業の打ち切りなども検討されました。
 ところが、昨年ホームページが開設された途端に、電話は鳴りっぱなしで、今では対応に追われています。やはり若者文化のなせる故でしょうか。
相談内容は包茎や自慰行為に関することが多く、この種の相談に見られる状況は、本会においても例外ではありません。中でも、マスターベーションの仕方がわからない、どうやればいいのか教えて欲しいという相談が多いのが気になります。
 人間は本来、快・不快の感情を持ち合わせており、快を求め、不快を避けるように育っていくのではないかと思います。乳児だって、オムツが濡れていたり、お腹が空いていたり、寝心地が悪かったり、暑過ぎたり、どこか痛かったりなど、不快を感じたときは泣くなどの手段で周囲へアピールするのです。逆に、心地よさを感じたときは、キャッキャッと笑って、もっともっととせがむようになります。幼児期になりことばでの意思疎通が可能になると、もっと高度な手段で快を求め、不快を回避するようになるのは自然の摂理でしょう。

 相談してくる少年たちに、「自分が一番心地良いと思う方法でやってみて」というと、どうすればいいのか分からないという。現代の学習形態の弊害というべきなのか、問題を解決するには頭で考え、技術を習得し対処するという思考回路が身についてしまっているのでしょうか。自分の感性を頼りに物事に対処していくことができにくくなっているのかなぁと考えさせられます。衣食住すべてに恵まれすぎて、不快を感じなくてもいいように、小さいときから環境が整えられ過ぎているためなのかと考え込んでしまいます。勿論、単に刺激を求めて電話してくる輩も多いのでしょうが…。

 過日、こんな相談がありました。体育の先生が男子だけ集めて、「お前たちマスターベーションしているだろう。やってもいいが、ちんぽの先を床とか硬いものにこすり付けるのは止めろ。将来射精しにくくなるぞ!」といった。自分は最初枕にしてたが、だんだん強い刺激を求めて、血が出るまで床にこすり付けていた。これは絶対止めようと思った…と。真偽のほどはともかく、相談に当たっていると、学校ではこういった具体的な指導をして欲しいと常々思います。昔の子供達は、思春期になると友達同士で性に関する話をしたものだと思いますが、今時の子供たちは、集まってもそれぞれが好き勝手なことをして遊んだり、あまり関わり合いを持とうとしないのが気になります。電話の主もまた、友達に話せないからと相談してきたと言います。

 こうした相談の例からも、近頃の養育の原点を見るような気がします。性教育は人間教育だと言われて久しいのですが、性衝動の強い思春期は特に大人への準備として、自分を大事にし、相手をも大事にできる、そんな人間になって欲しいとの願いを持って、私たちはささやかな相談活動を続けています。